琵琶湖にしか棲んでいない、その一点だけで、ホンモロコという魚はすでに特別な存在だ。固有種とは、その土地の時間が生み出したものだ。琵琶湖という、およそ四百万年の歴史を持つ古代湖が、気の遠くなるような時間をかけてホンモロコを育てた。コイ科の淡水魚で、成魚でも十センチほど。地味といえば地味な、掌に余る小魚である。しかし京都の人々はこの魚に、桜と同等の季節の重みを長い歳月をかけて託してきた。
若狭から塩鯖が運ばれる鯖街道が「加工品の道」であったのに対し、琵琶湖の南端・大津から山科を越えて京都の蹴上まではわずか十キロ足らず。徒歩でも数時間の距離である。夜明け前に大津を出れば、朝一番に料亭に届けることができた。近江から京都へのルートは、いわば「鮮度の道」といっていい。
江戸時代の百科事典『和漢三才図会』にも近江の特産として「諸子」が記されており、この小魚が古くから京の食を支えていたことがわかる。
谷崎潤一郎の『細雪』や川端康成の『古都』。京の食と季節を執拗なまでに美しく描き出した文豪たちの作品において、意外にも「ホンモロコ」は登場しない。彼らは時代の文化の担い手であり、希代の美食家でもあったにもかかわらず、京の食文化を愛でながら、なぜ琵琶湖の固有種であるこの小魚について、深く筆を振るわなかったのだろうか。
谷崎の『細雪』に、川端の『古都』にホンモロコが登場する……という記述を目にすることがある。おそらく、存在しない。AIによるハルシネーション(虚偽の引用)だ。
例えば『細雪』が描く京都の季節は、谷崎が編み直した物語だ。花、雨、着物、しつらえ、器、店、会話、家のしきたり。筍、鱧(はも)、鮎、湯豆腐……これらは京都という都市空間で完結する。だがホンモロコは、名前を口にした瞬間、書けば書くほど、京の美の輪郭がほつれて「近江の時間」が澱のように入り込んでくる。
文豪はそこに踏み込むと作品の重心が変わるのを知っていた。しかしAIはそのことを知らない。
AIは「京都の季節」を、語彙とそれに関連する慣習と情報を大量に学習し、紐付けている。もっともらしく織ることができる。だからゆく春を惜しむ儀式のように「春の訪れをホンモロコの素焼きで告げる」文章を、谷崎の文体で捏造してしまうことができるのだ。
しかしその捏造には、近江の夜明けも、漁師の手も、わずか十キロの距離も、外来魚による激減も入っていない。「食の歳時記」に見せかけて、「季節を運ぶ時間」が失われている。
ホンモロコは「都市が所有する季節」ではない。「季節を届ける時間」そのものなのだ。
子持ちのホンモロコが旬を迎えるのは三月から四月。ちょうど桜の盛りと重なる。卵を抱えた腹のふくらみ、炭火に乗せると立ち上がる香ばしい匂い、骨ごとかじったときの淡くほろ苦い味。それは春という季節を丸ごと口に含むような体験だ。急がず、ゆっくりと、春の終わりを惜しむように食べる魚。それがホンモロコという存在の本質かもしれない。
春が来るたびに、谷崎のような一節が頭をよぎる。今年の春とも、お別れだ……。
あゆの店きむらは、近江の時間ごと、春をお届けします。「本もろこ」で、今年の完璧な春をお楽しみください。

2026年の大河ドラマ第65作『豊臣兄弟!』。豊臣秀吉の弟・秀長を主人公に、兄を支えて天下統一を成し遂げた「天下一の補佐役」の視点から描く波乱万丈のサクセスストーリーだ。
1590年、小田原征伐。
秀吉が北条氏を滅ぼし天下統一を完成させたこの戦いは、「戦わずして勝つ」という戦略の集大成だった。北条氏は小田原城での籠城戦に自信を持っていた。戦国時代屈指の防御力を誇る小田原城は、上杉謙信や武田信玄の攻撃すら退けてきた難攻不落の城だったからだ。しかし、信長のもとで兵站(ロジスティクス)の重要性を学んだ秀吉に落ち度はなかった。北条軍の約5万に対し、全国の諸将を率いた約18万の大軍が陸海から小田原を包囲した。それは圧倒的だった。
さらに秀吉は、石垣山(笠懸山)に城を築き、諸大名の妻子を陣中に呼び寄せ、茶会を開き、能を催した。戦場を「心理戦の舞台」に仕立て上げたのだ。天下を手中にしつつある男が、敵にも味方にも見せつける強烈なデモンストレーション。石垣山一夜城の築城は、実際には約80日・延べ4万人に及んでいた。このとき、陣中に岐阜から「鮎鮨」が届けられたと伝わる。
長浜城歴史博物館には、小牧・長久手の陣中見舞として贈られた近江の「鮒ずし」への秀吉の礼状が残っている。発酵食品を腐らせずに長距離輸送する……それをやってのけること自体が、強大な兵站能力の証明だ。鮎鮨は、平安時代の『延喜式』にも記される、朝廷への優雅な献上品である。権力の象徴を欲した秀吉が、鮎鮨を石垣山の本陣に取り寄せたとしても、何の不思議もない。
小田原征伐のとき、秀長は病の床にあり、この場にいない。天下統一の総仕上げの舞台に、秀吉は独りで立っていた。大河ドラマがその孤独をどのように描くのか、楽しみである。
「あゆの店きむら」の鮎のなれ寿しには、鮎の清冽さと、近江が守り抜いた熟成の技法が今も受け継がれている。凛とした酸味、後口に残る余韻……。ひと口食べれば、数百年の時間が、すっと溶けていくのではないだろうか。