ふたつの湖
「この世はうらめしい。けど、すばらしい」、令和7年(2025)度後期のNHK連続テレビ小説は『ばけばけ』。小泉セツ&八雲(ラフカディオ・ハーン)夫妻がモデルの物語だ。八雲は、『知られぬ日本の面影』『怪談』などを書き遺した作家である。明治期の日本を海外に紹介し、「耳なし芳一」「雪女」「ろくろ首」「むじな」といった古くから伝わる口承の説話を翻訳し記録したことで知られている。
「低く狭い帯のような大きな松の木陰に一つの祠がある」と八雲は宍道湖に浮かぶ嫁ヶ島のことを記している。残照が美しくお気に入りの風景だったようだ。八雲が愛したのは、明確な輪郭を持つ西洋的な風景ではなく、霧や靄に霞む、湿潤な日本の風景だった。水辺は、現世と幽世の境界を曖昧にし、そこに妖怪や神々が入り込む。八雲は日本人の気配を察する文化のようなものを感じ取っていたのではないだろうか。
歴史都市松江と彦根
明治23年(1890)8月、八雲は「神々の国の首都」と呼んだ松江で暮らし始める。彼を松江に招いたのは島根県知事籠手田安定(こてだやすさだ)だった。『ばけばけ』では俳優佐野史郎が演じている。
松江と彦根はよく似ている。国宝の天守を有する彦根城と松江城はともに、明治の廃城令や戦火を免れ、市民の誇りとして現代にその姿を残している。城を中心とした城下町の区割りや、堀の構造が今も色濃く残る歴史都市だ。また、松江は近くに国津神の出雲大社、彦根は天津神の多賀大社という記紀の時代からの宗教的・精神的バックボーンを持っている。
籠手田は滋賀県令だった時代を経て、明治18年(1885)、島根に知事として赴任。「湖のある風景」「神代からの歴史」「城下町の気風と成り立ち」に、強い既視感を覚えたことだろう。
宍道湖と琵琶湖
更に歴史を遡る。堀尾吉晴は織田信長、豊臣秀吉の配下として各地を転戦し、関ヶ原の戦い以前、石田三成の居城として知られる佐和山城(彦根市)の城主を務めていた戦国武将である。関ヶ原の戦いの後、堀尾氏は出雲国(島根)へ転封となり、月山富田城から現在の松江城へと拠点を移し、松江開府の祖となった。
滋賀県には日本最大の琵琶湖があり、島根県には日本で7番目の大きさを誇る宍道湖がある。琵琶湖には西国三十三所観音霊場の竹生島が浮かび、弁才天信仰の聖地として古来より崇敬を集めている。宍道湖の嫁ヶ島には弁財天を祀る竹生島神社(堀尾吉晴勧請・異説あり)がある。鳥居は、明治40年(1907)に琵琶湖疏水設計者の田邉朔郎が寄進したものである。奇跡のような縁である。
八雲は松江を去った後、神戸在住時代に京都を訪れている(『仏の畑の落穂』所収「京都旅行記」)。残念ながら、琵琶湖を訪れた記録は見つけることはできなかったが、琵琶湖の青い広がりは八雲の隻眼に、日本の深層にある「見えざるもの」を映す鏡として映ったに違いない。
ところで、ふたつの湖の名産はしじみだ。宍道湖はヤマトシジミ、琵琶湖は固有種のセタシジミ。しじみ味噌汁で、しみじみ歴史の重層性と邂逅に思いを馳せてみてはどうだろう。





