古来伝承の味わい
こだわりは「鮎本来の食味」

「あゆの店きむら」は昭和60年頃から「天然ものに負けない養殖鮎を育てよう」と志し、養殖方法にさまざまな工夫を重ねてきました。
 毎年5月から10月にかけて、体長56センチほどの稚魚を20センチ程度にまで育成します。養殖池の水はミネラル豊富な鈴鹿山系の伏流水を使います。水温が15度くらいと低めで鮎の成長速度は遅くなりますが、引き締まった身に仕上がります。
 また、なるべく自然に近い環境で育てるために、養殖池では水車を使って川の上流部のような速い水流を再現しています。そうすることで鮎は活発に泳ぎ、身がぐんと引き締まるのです。更に、水流に適度な変化をつけ、鮎が遊べる場所を設けるために池を八角形にしました。
 鮎は環境変化に敏感で、ストレスを感じやすい魚です。毎朝欠かさず40ある養殖池を見回り、鮎の様子をチェックしています。
 餌には脂肪分をあまり配合せず、あえて長い期間をかけて育てています。脂肪分を多く与えた方が鮎は早く育ちますが、それでは天然もののような味わいを再現することはできません。但し、脂はおいしさの条件で適度な脂肪は必要です。絶妙な味わいの鮎を育てるために、今も試行錯誤を繰り返しています。
 餌の配合には特にこだわっています。香味を生むためのスピリルナなど緑藻類のほか、臭みを抑えるためのマグロやアジの上質な魚粉、免疫力を高めるプロポリス(蜂ヤニ)をブレンド。飼料メーカーと共に絶えず改良を重ねて独自の餌を開発しています。

琵琶湖産の鮎の産卵期は、同緯度地域の海産鮎と比べると1カ月ほど早く、9月上旬から始まります。秋、お腹に卵をびっしり抱えた雌の鮎は、「子持ち鮎」と呼ばれ、夏の鮎とはまた違った味わいで珍重されています。
 甘露煮などの加工は「少量手づくり」を基本に丹念に仕上げています。地醤油と地酒をたっぷり用いた煮汁は、追い汁せず毎回新たに調合しています。手間と暇をかけないといい味は出せません。
 全ては天然鮎に負けない琵琶湖産養殖鮎へのこだわりによるものです。

子持ちあゆの姿煮

自然の麗姿もそのままに、日持ちよりも美味しさに心を込めてとろ火でじっくりと炊きあげています。 お箸で簡単にほぐれるほど柔らかく、頭から尾まで余すことなく召し上がっていただけます。 ふっくら、やわらか、粋で贅沢な鮎の名品です。

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「子持ちあゆの姿煮」パッケージ

あゆの店きむらの「子持ちあゆの姿煮」は3種のバリエーションがあります。「炊きたて子持ちあゆの姿煮」、「子持ちあゆの姿煮」、「献上子持ちあゆの姿煮」です。いずれも日持ちよりも美味しさに心を込めてとろ火でじっくりと炊きあげた古来伝承の逸品です。

  • 「炊きたて子持ちあゆの姿煮」は、文字通り炊きたての子持ちあゆを木箱に入れてお届けしております。但し、賞味期限は常温で5日と短い商品ですので、お早めにお召し上がりください。
  • 「子持ちあゆの姿煮」は、炊きたての子持ちあゆの姿煮をひとつひとつ丁寧に真空パックしてお届けいたします。賞味期限は常温で180日、他商品の詰め合わせが容易です。
  • 「献上子持ちあゆの姿煮」は、美しい姿形に炊き上がった「子持ちあゆの姿煮」を更に厳選し、琵琶湖の波をイメージしたパッケージに入れ、木箱でお届けします。

木箱を開けると、鮎が生まれ育った琵琶湖を想像させるデザインで、波の形をした紙の一箱に一尾入っています。琵琶湖で育った鮎のストーリーを伝えるあゆの店きむらの最高級ギフト商品です。

「献上子持ちあゆの姿煮」のパッケージは、「日本パッケージデザイン大賞2021」の食品部門で入選。国際コンペティション「ペントアワード2020」では銅賞を受賞しました。「日本パッケージデザイン大賞」は、作品のデザイン性や創造性を競う一大イベント。「ペントアワード」は世界的に優れたパッケージデザインを表彰するイベントで、世界60カ国以上から2000点以上の応募がありました。
あゆの店きむらは、人と湖が培う淡海の食文化を大切にしながら、湖の物語を伝えていくことができればと思っています。

鮒ずしの物語 「薬になるのでございます」

湖の畔では7月終わりから8月初旬の最も気温が高くなる頃、春に塩漬け(塩切り)してあった樽が開けられ、鮒ずしの本漬けが始まる。固まった塩の中からニゴロブナを取り出し、丹念に水洗いした後、天日で乾燥する。その側には近江盆地で育った旨い米が炊きあがっている。「米」と「ニゴロブナ」が出合う「とき」である。
 「表にも看板を出してござりますが、鮒の鮨がありますで、これは、はい、當所の名物で、叉私どもが名代でござりますが。」 
 「鮒の鮓でござります。これは、はい、三年漬け込んで置きました、ようなれて居りますで、藥になるでこざります。土用の暑氣拂にな、あんたはん、白湯に入れて用ゐますで、骨も、鱗も、とろ〳〵に溶けるでこざりますよ。」
 作家泉鏡花作『瓔珞品(ようらくぼん)』の一節である。主人公蘆澤辰起は、琵琶湖の名所であるという「天人石」で赤穂義士銘々傳を読みながら、鮒ずしを肴に酒を飲み、夢をみる……。
 泉鏡花は琵琶湖を「これなむ日の本の一個所を、琵琶に劃つた水である。妙なるかな、近江の國」と記している。
 琵琶に劃(くぎ)った水辺……、近江独特の暑さと肌にまとわりつく湿気が旨い鮒ずしを育む。その熟れ具合と旨さは、蔵により、地域により、そして水により異なる。樽にかける人の手間暇はいうまでもない。故にご贔屓の店が生まれるのだ。

近江盆地の夏が終わる……。

樽の重しはおおよそ60キロ、発酵はこの石を動かすほどだ。あゆの店きむらの鮒ずしもまた、「米」と「ニゴロブナ」が出合い熟れの「とき」を過ごす。
 湖の風土……。鮒ずしはまさに「淡海のスローフード」なのである。

注:瓔珞(ようらく) インドの貴族男女が珠玉や貴金属に糸を通して作った装身具。頭・首・胸にかける。また、仏像などの装飾ともなった。(広辞苑)

参考:『新編泉鏡花集第六巻 』岩波書店
   『湖の風回廊 』西本梛枝・東方出版

干しあゆの炊き込みご飯

材料(3〜4人前)

米:2合 / 醤油:大さじ2 / みりん:小さじ2 / 酒:小さじ2 /「干しあゆ(姿)」:3~4尾 お好みで / 昆布:適量 / 油揚げ:お好み / にんじん:お好み / 山椒の葉:お好み(千切りの大葉でも可)

作り方

  1. 「干しあゆ」と昆布を2〜3時間水に浸しておく。
  2. 米は事前に洗って、ざるで水切りしておく。
  3. にんじん、油揚げは短冊切りに、山椒の葉は飾り用。
  4. 洗った米に1の戻し汁、醤油、みりん、酒、にんじん、油揚げを加え軽く混ぜ、最後に浸しておいたあゆを上にのせて炊く。
  5. 炊きあがったら、あゆの頭と尾を取り、身をほぐし、ご飯と軽く混ぜ、山椒の葉(または千切りした大葉)を散らせて出来上がり。

干しあゆ80 g

香魚とも呼ばれるその香りが特徴の鮎を干して、こうばしく仕上げました。そのままでも、ほのかな良い香りと、噛みしめる ほどに旨味が滲む独特の味わいをお楽しみいただけます。 酒肴やおつまみには、オーブントースターや網で軽く炙って からお召し上がりください。

1,080円(税込)

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文字に書かれた証言 鮎養殖の始まり
小鮎塚 vs 石川先生顕彰碑

「小鮎塚」の証言

 琵琶湖の固有種であるビワマスを始め、アマゴやイワナといった清流に棲息する淡水魚の養魚施設として、かつて東洋一の規模を誇ると謳われた醒井養鱒場に「小鮎塚」があることを知る人は少ない。碑文には「皇紀二千六百年十一月十日」と日付が刻まれている。「皇紀」とは、史上初の天皇となったといわれる神武天皇の即位年を紀元として数える日本独自の年代の数え方である。西暦に660年加えれば皇紀になる。皇紀2600年は西暦1940年だ。
 アユは「魚」偏に「占」うと書く。神武天皇が大和の地に辿り着くまでの戦いの途中、敵に包囲され進退窮まったとき、天皇が「飴を壺に入れて川に沈め、酔って魚が浮かんできたら、きっと大和を平定できる」と占ったところ、アユが浮かび上がり、天皇は占いどおりに大和を治めることができたという故事に因み、以来、アユは「鮎」と書かれるようになったといわれている。
 皇紀2600年、日本はちょうど日中戦争の真っ只中にあった。戦勝祈願として琵琶湖の代表的な淡水魚である小鮎にちなみ、東洋一の養魚施設に記念碑が建てられたのではと考えていたが、碑文をじっくり読んでみると、どうやらそうではないらしい。
 かつて小鮎と大鮎は種類が違う魚と考えられていたが、明治41年(1908)、琵琶湖産の小鮎を養鱒場で池中養殖すると大鮎並みに育った。これに着目した滋賀県水産試験場が県内各地で実験したところ、鮎の体の大小は環境の違いに影響されることが証明され、鮎養殖や移植放流の起源となったことが記されている。碑は顕彰と、実験で失われた鮎の命を追悼する目的で建立されたものであった。
 「小鮎の河川移殖事業の創始発達は一に歴代本県水産試験場員各位の絶大なる努力と農林水産局の活魚遠距離輸送試験のたまものである。歳月を経ることによって、この尊貴すべき発見創意に関し異説を生ぜんことを恐れここにこれを併記する」とある。

醒井養鱒場 小鮎塚

「石川先生顕彰の碑」の証言

 ところで、彦根の旧港湾のかつて鮎苗協同組合があった場所に石川千代松博士の胸像がある。昭和49年(1974)に石川先生小鮎移殖顕彰会が建立したもので、「石川先生顕彰の碑」には次のように記されている。
 「石川千代松先生(一八六一│一九三五)は、琵琶湖に産する小鮎は鮎が湖内に封じ込められて出来た生態学上にいう陸封現象の所産であって鮎と別種のものではないと信じ、大正二年に小鮎を東京多摩川に試験的に移入してそのことを実証した。(中略)先きに最初の実験地多摩川の青梅大柳河原に、『若鮎の碑』が奥多摩漁業組合と土地の有志によって建てられたが、当会は小鮎の産地である琵琶湖畔の而も此の実験の原点である彦根市に、先生の胸像を建て、当会に御援助を賜った方々と共に、永く先生の栄誉をたゝえ遺徳を偲ばんとするものである」。
 「小鮎塚」と「石川先生顕彰の碑」。碑文や顕彰碑に記すことができる文字数は限られる。どちらも真実を伝え、どちらも書き足りない部分があるのではないだろうか。
 皇紀2600年に小鮎塚を建立し、わざわざ「この尊貴すべき発見創意に関し異説を生ぜんことを恐れ」と併記しなくてはならなかった理由は何なのか……。
 今、ミステリーを解く鍵は閉ざされている。

彦根旧港湾 石川千代松博士胸像